以前から「いつかは書きたい」と思っていたチラシの裏。R50・R60・F56・R52・F60とBMW MINIばかりに乗り続けている私ですが、R50とR60の間の2年だけ国産車を所有していた時期があります。
チョイスしたのはホンダ・7代目アコードワゴン。選んだ理由は単純明快で、我が家が『代々ホンダ党だったから』というもの。かつて家業がホンダディーラーの経営をしていた時期があったこともあり、『国産買うならホンダ車』という掟が存在するのです。20年以上前に事業終了してしまい今はその片鱗は何も残っていませんが、我が家では今でも度々、ホンダの動向が話題になります。
ワクワクするラインナップを持っていたホンダ
かつてはホンダファンのことをその熱烈な行動や活動を含め『ホンダ党』と呼ぶ時代がありました。今や死語になった言葉ではあるでしょうけど、当時のホンダにはそれだけの『何か惹きつける』魅力が満載でした。その時代の中では極めて独創的なチャレンジを繰り返し、数々の名車と迷車を生み出すメーカーとして人々の記憶に刻まれてきました。
ですがいつしかチャレンジングな要素は薄れ、今やN-BOXぐらいしか売れていないんじゃないか?と心配になるような状態。当時のホンダ党員は、かつてのホンダが持っていた『何か』をホンダでは感じなくなり、やむなく他メーカーの党員へ移籍していったのでは?と勝手に思っています。
私が知る記憶を思い返していくと、まず1980年代に於いてはシティ・トゥデイ・CR-X・インテグラ・レジェンドなど、他車の競合車とは異なりどこか尖ったキャラクターを持つ車種が多く輩出されました。
その後、1990年代初頭には当時のF1ブームとバブル景気に後押しされる形でNSXやビートなど、今なお名車と称されるスポーツカーを輩出する一方、バブルに踊らされさっぱり売れないセダンラインナップを乱発し一気に暗黒時代に突入。そうかと思えば、苦肉の策で作り上げたオデッセイが大ヒット。再び息を吹き返します。
1990年代後半にはCR-Vやステップワゴンなど、オデッセイの後を追うような新ジャンル車種が多数登場し完全復活。2000年前半にはストリームやフィットなど当時のトレンドを作り上げた車種が登場しましたが、一方で80年代と90年代のホンダの『名車か迷車』な残り香を感じる粒ぞろい車種を多数発売して(失敗も多かったな 笑)存在感を示していました。
冒頭で紹介した7代目アコードワゴンもそんな1台。それまでどうにもアメリカ臭の強かったアコードの流れを潔くぶった切り、ヨーロッパ市場に並み居る前輪駆動Dセグメントのライバル(Ford MondeoやVW Passat、Alfa 156)を強く意識して開発された意欲作でした。そんなクルマを「国産車」として我が国で買えたわけですから、今になって思えば良い時代だったなぁと感慨深くなります。
そこで、今回はアコードとそのライバル達を検証し、色々考察してみます。
今や絶滅種になった国産Dセグワゴン
2000年初頭はまだまだ活況のジャンルだった
7代目アコードが登場した2002年当時、国産各メーカーは『ヨーロッパ市場で本気で戦うべく』開発されたモデルが多数存在していました。特に、Dセグメント車種はそれまでの日本のラージサイズ車の流れとは一線を画し、デザイン・ユーティリティ・走行性能・品質などクルマの本質を左右する要素すべてが高レベルで設計された車種が各メーカーに存在。その例として挙げられるのが、トヨタ アヴェンシス・日産 プリメーラ・マツダ アテンザ・スバル レガシィなどがあります。
これらの車種は過去のモデルからキャラクターが大幅に変わったものもあれば、長年愛された車名を捨て新たな名前に生まれ変わったものも。その様子は『欧州で存在感を表すために、やれることは全てやる』の姿勢に他なりません。
一方、ヨーロッパにおけるDセグメントは、Mercedes・BMW・Audiのドイツ御三家が送り出す後輪駆動ベースのプレミアムDセグを筆頭として、その下にVW Passat・Ford Mondeo・Opel Vectraなどの前輪駆動ベース車が活況を呈するジャンルです。
このセグメント車種は、法人のスタッフ待遇制度のひとつである「カンパニーカー」として供されることが多い(=販売ボリュームが多い)カテゴリーでもあります。そのため、各メーカーそれぞれ気合いの入ったモデルを多数投入していることも特徴として挙げられます。カンパニーカー制度は、平日は業務で使用→週末はプライベート使用が認められるというものですので、ビジネスに適するフォーマルなセダンだけでなく、セダンをベースとしてレジャーにも適しているステーションワゴン車も好まれるという側面があります。
一方、当時の日本国内市場におけるDセグメントの線引きは少し曖昧でした。そもそも、国内市場にはヨーロッパのセグメント的カテゴライズは存在していませんが、無理矢理当てはめるとすれば前述の3台の他に、それまでの日本人的価値観で成り立つ上級車であるトヨタ マークIIや日産ティアナ、スカイラインなども同じカテゴリーに属します。
これらの車種は、さらに上位クラスのクラウンやセドリックほどではなくとも、ある程度の上級感を持ったクルマに仕立てられていました。また、日本ではステーションワゴン=商用バンの派生モデルというイメージがまだまだ存在していた時期でもありました。そういった旧来の観点から見ると、前述のDセグワゴン車は日本に馴染みやすい存在とは言いづらい部分があったかと思います。現に、マークIIにはステーションワゴンモデルが用意されていたのですが、中身はカムリだったこともあり好調なセールスには結びつきませんでした。
もっとも、カンパニーカー制度が存在しない日本においては、1990年後半からは個人所有するクルマのほとんどは多人数乗車が可能なミニバンが主流になっていたこともあり、その後、これらの車種のセールスが右肩下がりになっていったのは言うまでもありません。
その上、当時の前輪駆動Dセグモデルは、国内市場からは『大きすぎる!』という声が強くなってきたタイミングでもあります。例えば、スバルの基幹車種であり国産ステーションワゴン車種の筆頭であったレガシィがが4代目に切り替わったときの市場の反応が顕著で、それまでは5ナンバーサイズでまとめられていた車体が一気にサイズアップ→堂々の3ナンバーになったことに関してはスバリストを中心に否定的な意見が多かったように思います。
現在では、コンパクトさが信条のBセグメント車種ですら3ナンバーサイズに成長。大衆車であるCセグメント車種は軒並み3ナンバーサイズという時代になったことで、駐車場をはじめとしたクルマにまつわるインフラが3ナンバーサイズを許容してくれるようになりました。ですが、2000年代初頭はまだ5ナンバーサイズのインフラが基本。駐車可能サイズの問題や取り回し性の問題がまだまだ多く残されていた頃だったため、モデルチェンジに伴い3ナンバーサイズに成長したモデルに対する風当たりは今以上に強かったと思います。これはレガシィに限らず、アコードやプリメーラも同様でした。
結局勝てなかった挑戦者たち
その後、日産・プリメーラはルノーとの兼ね合いと当時まだ下火だったSUVジャンルへのシフトのために早々にディスコン。残ったトヨタ・ホンダ・マツダの3台はさらにサイズアップし豪華さや上質さを押しだした新型を登場させますが、結果的にはトヨタとホンダが離脱。トヨタはアベンシスを廃止した後はカムリを投入して辛うじてDセグメント市場に残り続けていますが、一方のホンダはアコード自体を投入終了するという憂き目に。
アコード、そしてホンダがヨーロッパ市場で完全敗北したと考えられる要因は3点。
1点目:ディーゼルエンジン搭載車のバリエーションが少なかった
2000年前後、ヨーロッパではトルク性能や燃費性能が優れるディーゼルエンジン搭載車の販売台数が急激に増加。それに併せるように国産各社もディーゼルエンジン開発を本格化させます。当時のホンダエンジンのラインナップにはガソリンエンジンしか存在していなかったため、当初は提携関係にあったいすゞからディーゼルエンジン供給を受けて市場投入していましたが、ようやく7代目アコードで自社開発の2.2L i-CTDiエンジンを初搭載しました。ですが、既にライバルは排気量や気筒数違いのディーゼルエンジンを複数展開している状況。これでは勝負になりません。
また、アコードのディーゼル仕様に組み合わされるパワートレインは5速MTしか用意されていませんでした。一方のライバルはMTに加えATパワートレインが選択できるものが多く存在していました。MTが主流のヨーロッパでも、アッパークラスモデルではAT比率が高かったため、MT仕様しか用意されていなかったことはいささかマイナスに作用した点があると思います。これについては、当時はミッション内製がメインだったホンダにとっては仕方のないことだったのかもしれません。
2点目:お家芸のガソリンエンジンでの敗北
かつては『ホンダと言えばエンジン!』と言われていましたが、2000年以降は一気にヨーロッパ勢に負かされる結果になってしまったと思います。それまでは燃費性能やエミッション性能の要求レベルが現代ほど厳しくなかったこともあり、パワーやトルク性能のほうが重視されていた時代だったわけですが、地球温暖化の影響による気候変動が明らかになりつつあったことや、世界情勢の不安定さによるエネルギー価格の乱高下などの要因で、一気に潮目が変わったのもこの頃でした。
7代目アコードには新開発の2.4L 4気筒自然吸気のK24Aエンジンが搭載。旧来のホンダらしく、パワー感にあふれるエンジンでしたが、その数年後にVWグループが小排気量で上位エンジン並みのパワー・トルクを発生させ、かつ燃費性能に優れるという革新的なダウンサイジングエンジン(TSI)を登場させたことにより、圧倒的な商品力の差をつけられてしまいました。それに加え、組み合わされるパワートレインについても、VWは2クラッチ式MT(DSG)を搭載したことによりさらなる高効率化が果たされました。前述のK24Aに組み合わされるホンダ内製の5速ATも良い出来なのですが、VWグループのTSI×DSGの組み合わせはそれを優に超えるほどの高い商品性を持っていました。
3点目:価格競争力の低下と一本筋のあるキャラクターの欠如
さらに考えられるのは、クラス王者のVW Passatを追随するライバル車との価格競争力が失われたことがあります。当時、アコードの立ち位置にはFord Mondeo・Opel Vectra・Renault Raguna・Peugeot 407・Citroen C5・Alfa 156などのライバルが多数存在していましたが、7代目アコードが登場した前後からVWグループに属するSkodaが親会社の「技術資産」と「スケールメリット」を活かしたモデルを登場させました。Skoda Superbです。ベースはPassatなのにそれより廉価なわけですから、売れないわけがありません。Skodaの本拠地は東欧のチェコ。日本未導入のためあまり知名度がありませんが、VWのお膝元であるドイツでもSkodaブランドは浸透しており、街中で走り回る姿を多数見かけます。
それ以外のライバル勢も、それぞれに特色を持っていました。例えばFord Mondeoはスポーティなハンドリングで好評でしたし、Citroen C5はハイドロニューマチックの後継であるハイドラクティブサスペンションを搭載し独特の乗り味を形成するなど、明確に売れる要素を持ち合わせていました。その結果、どの性能も「そこそこに良い」けど「一本筋な特色に欠けた」アコードは、結果的にヨーロッパ市場から撤退することとなりました。ちなみに、販売終了直前の2014年におけるイギリスでの販売台数はわずか514台だったそう。そりゃ販売止めるわね。
もっとも、王者の躍進が目立ったその後、VWはディーゼルエンジンで大規模な不正(ディーゼルゲート事件)が明らかとなり猛烈なバッシングと制裁を食らうことになります。当時は誰もそんなことが起きているなんて知る由もありませんでしたが。
今や残っているのはマツダとスバル
結局、国産Dセグメントワゴンの選択肢はマツダ・アテンザ(マツダ6に改名)とスバル・レヴォーグの2台に絞られる結果となってしまいました。2000年当時から唯一残ったマツダ6については、次期型で直6エンジンに後輪駆動というパッケージングを採用し、いよいよプレミアムDセグメントへ移行すると伝えられています。スバル・レヴォーグは大型化したレガシィの代わりとして国内専売のワゴンモデルを新設→評判が良いので欧州にも輸出というところがスタートですので、少しだけ趣きが異なりますが国内では順調なセールスを続けているところ。
ちなみに現在のヨーロッパDセグ市場は、VW Passatを筆頭に、Ford Mondeo・Volvo V60・Peugeot 508・Skoda Superbなどに加え、韓国メーカーのHyundai i40が躍進中。その状況も、少し寂しい感じがします。
アコードの歴史を振り返る
さて、話をアコードに戻します。
初代アコードの登場は1976年。当時「達成は困難」と言われていたアメリカの排ガス規制を世界で初めて達成したエポックメイキングな低公害エンジン「CVCCエンジン」を搭載、世界中で人気を博していた初代シビックの上級車種として開発されたモデルでした。
開発に際し、基本コンセプトを『使い勝手が良く、スタイリッシュで、スポーティーな小型車』とし、3ドアハッチバックと4ドアセダンの2モデルを設定しました。当時このクラスのクルマには採用例がほとんどなかったエアコンやパワーステアリングなども装備し、かつスポーティで手頃な価格だったことも相成り、1976年に販売がスタートした直後から大ヒット。ホンダの想定よりも大幅に多い販売成績をあげました。
続く2代目モデルはキープコンセプトな設えでしたが、ボディサイズが拡大されると共に、新技術を多数投入。オートレベリングサスペンションやクルーズコントロール、世界初の車速応動型パワーステアリングやエレクトロジャイロケーター(現在で言うカーナビの礎)などを採用し、先進性を全面に押し出した車種として初代に続き世界各地で好評でした。
また、このモデルよりアメリカでの現地生産がスタート。日本の他メーカーより早く現地生産を開始したこともあり、アコードはその後長らくアメリカで愛されるクルマとなりました。また、この代よりホンダ3チャネル化の第1弾「ベルノ店」向け兄弟車のビガーが設定されました。
1985年に3代目に切り替わったアコードは、フォーマルなセダンモデルにもリトラクタブルヘッドライトを採用(※日米モデルのみ。欧州セダンは異形2灯型を採用)するという思い切ったスタイルに大変化。FF車として世界初、4輪にダブルウィッシュボーンサスを採用したこともトピックでした。
ボディ形状は従来からのセダンに加え、アメリカ市場をターゲットとしたクーペが追加。そして一番大きい変化が、日本とヨーロッパ向け3ドアハッチバックは「アコード・エアロデッキ」という名前のスタイリッシュなシューティングブレークモデルに刷新されたことです。
従来のファストバック型のハッチバックではないその姿と、大人4人が乗っても余裕のある車体は現代でも十分カッコイイ仕上がりなのですが、思ったほど売れず。ですが一部のコアなファンからは未だに「隠れた名車」として一定の人気があります。なお、アメリカ市場向けにはオーソドックスなファストバック型のハッチバック車も存在していました。
1989年には4代目が登場。この代からはハッチバック仕様が廃止され、新たにステーションワゴン仕様が追加され、セダン・ワゴン・クーペの3種類となりました。低く構えたボンネットや空力を意識したボディ形状は先代の伝統を引き継いでいますが、フロントマスクの特徴でもあったリトラクタブルヘッドライトは廃止され、異形ヘッドライトに統一。
これまでのアコードのモデルチェンジは都度「新技術初採用」のオンパレードでしたが、この4代目はそれよりも「正常進化」の意味合いが強いモデルだったように思います。折しも、デビューした1989年はバブル景気が絶頂を迎えていたこともあり、兄弟車が多数発売されたことのほうが注目されました。
まず、アコード取扱いが終了したプリモ店向けに「アスコット」が新規デビュー、さらに上級車種として、直列5気筒エンジンとFFミッドシップレイアウトを採用した「アコードインスパイア」が追加。もともとバッジ違いだったビガーはインスパイアの兄弟車に格上げ。
5代目が日本・アメリカが共通のモデルになります。バブル崩壊後の1993年にデビューしたアコードはアメリカ市場の要求と安全基準適合のため、3ナンバーサイズへ拡大を果たします。このモデルよりホンダお家芸であるVTECとPGM-FIが搭載された新エンジンが搭載され、アッパーミドルにふさわしい内容に進化しました。
初代から続いていたスポーティな小型車というイメージからかけ離れ、アメリカで好まれるサイズとデザインになった、という点では異色のモデルだったのかもしれません。ちなみに5代目がデビューした当時のホンダはセダン車種乱発により深刻な販売不振に陥っていたときでもあります。
特に、いわゆる「RVジャンル」のクルマを持っていなかったこともあり苦境に立たされていたわけですが、この5代目アコードのプラットフォームを流用し、かつアコード生産工場の製造ラインをギリギリ通せるサイズになるよう開発された初代ホンダ・オデッセイが大ヒット。一気に息を吹き返します。
続く6代目は1997年にデビュー。この世代は世界共通フレキシブルプラットフォームと称し、ベースを共有しつつも日本・アメリカ・ヨーロッパそれぞれに別モデルが用意されることに。これは、アメリカ市場は更に大型化+V6エンジン搭載が可能なサイズまで拡大する必要があったため。ですが日本国内市場はアメリカに寄りすぎた先代モデルの反省から、再び5ナンバー規格に留まるサイズに仕立てられました。
この頃からは、ファミリーカー=セダンという図式が崩れ、国内新車市場はミニバンやクロカン系のRV車が売れ線の中心となっていたこともあり、かつてのアコードたる所以の追求は薄れて地味な存在になってしまったモデルに思います。カンフル剤としてモデル後半にはユーロRと呼ばれるホットモデルを追加しましたが、何がどうユーロなのか?がさっぱり判らないモデルでした。
ワゴンモデルの変遷
前述のとおり、アコードも世代を重ねるごとにその時代のトレンドに合わせてモデル体系が変化していきました。その中でも、長らくラインナップされているのがワゴンモデルです。
4代目モデルでハッチバックに代わり新たに加わったワゴンモデルは、ホンダオブアメリカ主導で開発・生産されたいわゆる「逆輸入車」でした。ワゴンモデルが追加された1991年当時の日本は、ステーションワゴン=営業用バンの派生車という印象が強かったこともあり、積極的にワゴンモデルが選ばれる市場はまだ存在していなかったことに加え、日米貿易摩擦による日本車メーカーへの圧力も強かったため、貿易摩擦解消のためにアメリカ生産のワゴン・クーペモデルを逆輸入という形で導入されます。
一方、当時のアメリカはセダンベースのステーションワゴン市場がひとつのジャンルとして存在。そのためワゴンモデルはアメリカ主導で開発・販売されたわけですが、それがむしろ使い勝手や機能性の良い仕立てや、セダンベースながら凡庸さを感じさせないスタイリッシュさに繋がりました。その結果、逆輸入車ながらも好調なセールスを記録することになります。
続く6代目に至っては、ようやく日本国内でもレガシィを筆頭としたステーションワゴン市場が形成され始めたことや、アウトドアレジャーブームの後押しもあり先代に続き好調なセールスを記録します。しかしこの頃には、ワゴンモデルの源流となったアメリカではステーションワゴンに変わってミニバンやSUV市場が急拡大。アメリカにおけるワゴンモデルは5代目で廃止となってしまいます。
そのため、6代目は日本専用モデルのワゴンが登場。荷室容量一辺倒の箱形スタイルというより、リアオーバーハングの長いハッチバックのようなスタイルは、他メーカーのワゴン車とは一線を画していました。ベースとなったアコードは5ナンバーサイズにダウンしましたが、ワゴンモデルのみフェンダー拡幅により3ナンバー車として仕立てられていることも特徴。搭載されるエンジンもワゴン専用に2.3Lエンジンが搭載されていました。
7代目アコード登場前夜
さて、7代目アコードがヨーロッパ市場を重視したモデルに成長する前口上として、アメリカ・日本モデルとは別の道をたどったヨーロッパ仕様のアコードの存在をスルーできません。4代目以降、アメリカ市場での大人気っぷりが結果として国内仕様アコードをアメリカ寄りにしてしまったわけですが、一方でヨーロッパアコードも陰ながら独自の進化を遂げていました。その影には、私がこよなく愛するMINIを作り上げたRoverの存在があります。
前述のとおり、4代目アコードまでは日米欧と同じ車両が販売されていましたが、1993年よりヨーロッパ仕様のアコードは当時資本提携を結んでいたイギリスのRover Groupと共同開発された5代目モデルに切り替わります。(※型式名が「CB」を名乗ることから4代目アコードとする向きもあるようですが、ヨーロッパでは形式名「CD」に対応するモデルがないため、便宜上5代目と表記します)
ホンダがRover Groupと提携を結んだのは1979年。当時のBritish Leyland(※Roverの前身)は旧態化したモデルラインナップと低い品質セールスを落としていた真っ只中。一方ホンダは初代アコードを発売した直後ではあったものの、更に上位モデルの開発を行うにあたり、自社のノウハウだけでは成功が難しいと考えていたところでした。
そんな折、両者の思惑が一致し資本提携を締結。その結果、1985年に初代ホンダ・レジェンドがデビュー。その後、順次Roverの乗用車はホンダ車がベースとなったモデルに切り替わっていきました。そして、ヨーロッパ向け5代目アコードはRover 600との兄弟車として発売に至ります。
この5代目欧州アコードは、日本市場にも導入され「アスコット・イノーバ」という名称で販売されました。これはホンダの販売チャネル追加(ホンダクリオ店)によりアコードの取扱いが終了→兄弟車アスコットの販売を開始したホンダプリモ店向け専売車として導入されたものです。アコードワゴンと異なりこちらは国内生産ではありましたが、欧州アコードそのままの見た目を持つスタイリッシュなクルマでした。
ただ、実はヨーロッパアコードとアスコット・イノーバはボディ構造が異なります。バブル景気真っ只中に開発されたことに起因したのか、サッシドアセダンだった欧州アコードを(わざわざ)サッシレスのハードトップ車に仕立て直したものを導入。新開発の2.3L直列4気筒エンジン(H23A)の搭載、エアバッグ・ABS・TCSの装備やコンビレザーを用いた上質なインテリアなど、かなり気合いの入ったモデルではあったのですが・・・販売が開始された1992年は既にバブル景気が崩壊した頃だったこともありさっぱり売れませんでした。同時期に日産から販売されていたプリメーラはヨーロッパを完全に意識した造りという触れ込みで好評を博していたことを考えると、売り方さえ間違えなければもっと売れたんじゃないの?と思ってしまいます。
6代目モデルは前述のとおり、アメリカ仕様・日本仕様とは異なるボディを持ったモデル。サイズ的には日本仕様アコードと近いのですが、日本仕様は直線的でソリッドなスタイルだったのに対し、ヨーロッパ仕様は少しふくよかなスタイルを持っており、よりライバルを意識したデザインに仕上げられていました。特筆すべきは、ヨーロッパ仕様のみ「TypeR」が用意されていたことです。ですが、当時日本で販売されていたインテグラ・シビックのTypeRのサーキットスペック的な仕立て方とは異なり、高性能サルーンを彷彿とさせる仕上がりだったこともあり、そこまで人気を博さなかったようです。
そして、いよいよ本題の7代目アコードが誕生します。
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